2009年4月20日
今はもう平気で観れますけれど、あの連載が始まった時は、心の底から怒りが沸き上がって来ましたね。あんな風に勝手に私の名前を使われるなんて、思ってもいませんでしたから。武さんが自分の少年時代のことを漫画で描くつもりらしい、というのは聞いていましたけれど、ああいう形で私たちのあの時代が描かれるというのは、正直ショックでした。すぐにのび太さんとスネ夫さんに連絡を取ったのですが、のび太さんはただただ驚いているという様子で、スネ夫さんは連絡が取れない武さんに対して怒りを抑えられないという感じでした。それは私も同じ気持ちでしたので、その後も何度か武さんに連絡を試みましたが、一切つないではもらえませんでした。
それから1年も経たないうちに、スネ夫さんが自殺したという連絡をもらって、本当にやりきれない思いで一杯になりました。その時わたしは既に独り身でしたので、子供もいませんし、同じマンションの住人から「変な噂が流れてるけれど大丈夫?」と心配されるくらいで済んでいましたが、スネ夫さんはご家族もいたようですし、仕事先でも相当嫌な思いをしていたそうです。それから少しして、奥様とお子さんたちは奥様の旧姓に名字を変えて、東北の方へ引っ越されたとのことです。
あれからもう30年になります。のび太さんもいなくなってしまった今、唯一連絡を取り合っているのはのび太さんのお母さんである玉子さんと、武さんの妹さんのクリスチーネ剛田さんだけです。結局、女は強い、ということでしょうか。あるいはそもそも女である私たちは、勝手に名前を奪われて、納得のいかないストーリーを書かれることに慣れていたのかもしれませんね。ただ、あの頃私と同じようにあの仲間で仲良くしていたのにも関わらず最後まで『ドラえもん』に登場することのなかった香苗ちゃんは、そう強くもいられなかったようです。四国の親戚のところに身を寄せたと聞きましたが、それも20年近く前のことですので、今はどうしていることか・・・。
勝手に歪曲されて、「キャラクター」という型にピッタリはまるように作り上げられることが、どんな気持ちか、香苗ちゃんには分からなかったでしょうし、彼女のように一切描かれずに過去から抹消されることがどんな気持ちか、私には分かりません。でも恐らく、私か香苗ちゃんのどちらかが消されることは間違いなかったのでしょうね。『ドラえもん』で描かれた時代のすぐ後に私たちの青春を襲った悲劇は、あまりにも複雑で、あまりにも残酷でした。だから、武さんはあの物語に女を2人も登場させたくなかったのだと思います。特に、「ドラえもん」と私たちが呼んでいたあの老人と性的関係を結んでいた香苗ちゃんのことは。
中学に入ってすぐに、香苗ちゃんは妊娠しました。あの当時知識の少なかった私はドラえもんとの子供だろうと思ったのですが、今考えてみれば武さんの子供だったのかもしれません。頼る人もいず、私たちに助けを求めた香苗ちゃんにやけに協力的だったのも、そう考えればつじつまが合います。こうやって私が勝手に想像で話をするのも、武さんがやったように、過去をねつ造することになってしまうのかもしれませんが、もはや武さんもこの世にはいませんし、私の視点から見たもう一つの『ドラえもん』だと思って聞いてください。漫画でも登場したあの空き地に夜中に集まって、香苗ちゃんのお腹の子をどうするべきか話し合いました。けれど中学生の私たちが思いつくことと言えば「やっぱり親に相談するのがいい」だとか「産んだらどうか」とか、無責任なものばかりでした。その中で武さんだけが具体的な案を出したのです。それはお腹を蹴ったり殴ったりすれば子供は死ぬだろうという原始的なものでしたが、泣きじゃくるだけの香苗ちゃんを前に、誰も武さんよりいい案を思いつくことは出来ませんでした。
皆さんもよくご存知のあの土管の中で、それは起こりました。あの空き地は漫画やアニメに登場するようなこぎれいなものではなく、草がぼうぼうに生えていて、左奥の方に屋根も壁も窓も壊れた木造の薄気味悪い小屋があったのです。土管はその中に5~6本入っており、入りきらなかったものが2本、近くに転がっていました。土管自体も実際はもっと太く、腰を屈めれば小学生ですから中を通れるくらいでした。初めはみんな土管の横から香苗ちゃんのお腹を蹴る武さんを見ていましたが、真っ先に耐えられなくなった私がもう一つの土管の中に入りしゃがんで震えていると、スネ夫さんとのび太さんも続いて入って来ました。ドスッグニュッ。香苗ちゃんの押し殺した悲鳴に混じって聞こえる鈍い音は、それから数年ものあいだ私の耳から離れませんでした。
漫画やアニメで『ドラえもん』を観ていた人からしたら、武さんのこの行動は正に「ジャイアン」らしい、暴力的な姿だと思われるでしょう。でも実際には武さんはおとなしいタイプでした。普段から常に周りを気にして、決して自分から意見を言ったりしない、寡黙な少年だったのです。一方でスネ夫さんと言えば、どちらかというと体も大柄で、小学生にしては声も低く、漫画の「ジャイアン」ほどではないにしても、ガキ大将的なイメージがありました。のび太さんは飄々としていて、誰に何を言われても気にしないような、自由奔放な感じの男の子だった記憶があります。私自身もまた、『ドラえもん』で描かれているイメージとはほど遠い、ぶくぶく太って、目も小さくつり上がって、スカートではなくモンペを履いているような女の子でした。スネ夫さんといつも張り合って喧嘩になり、怪我の絶えない日々だったと生前母が思い出話の種によく言っていたものです。唯一似ているのは、髪の毛を2つにしばっていたことくらいでしょうか。
そんな感じでしたから、私たち3人にとってこの時の武さんの行動はとても恐ろしいものでした。土管の中で震えながら3人は、香苗ちゃんの体が殴られ蹴られているということ自体というより、武さんのあまりの変貌ぶりに怯えていたのだと思います。20分くらい経った頃でしょうか、ずいぶん長く感じたものですが、肉を打つ鈍い音がやみ、息を切らせた武さんの呼吸音と痛みに耐えてうなっている香苗ちゃんの声のする土管を覗くと、下半身を血まみれにした香苗ちゃんと、香苗ちゃんの頭に覆い被さるようにして倒れ込んだ武さんの姿がありました。なぜか私はそこで突発的な衝動に駆られ、武さんの背中に食らいつき、気がついた時には武さんの後頭部を何度も何度も肘や拳で殴り、掌で頭を土管の壁に打ち付けていました。ドラえもんとの子供だと頭では分かっていても、そしてそれ故に怒りは老人にだけ向けられていたのにも関わらず、私は武さんの行動が恐ろしく感じられて、なぜか、20分間香苗ちゃんの体を傷つけ続けたことによって疲労している隙にこの男をやっつけなくてはならない、という根拠の無い義務感を感じていたのです。
ほんの5分くらいの間だったでしょうか、平静を取り戻した私は両腕をスネ夫さんにつかまれ、土管の外に出されていました。蛍光灯に照らされた暗黒のようだった空気が少しずつ藍色になり、明け方の近いことを悟ると、誰からとも無く立ち上がり、空き地の後片付けが始まりました。香苗ちゃんは水道で下半身や血まみれになったスカートと下着を洗い、こうなることを予測していたかのように取り出したタオルで武さんが土管を掃除していました。のび太さんが小屋の中にあったバケツで水道から水を汲み、土管の中に流し込みます。スネ夫さんは私の隣でもう一つの土管に座り、星のない星空を眺めていました。私が土管から飛び降りて道路に歩き出すとスネ夫さんが後ろから付いてきましたが、歩き続けているうちにあきらめて空き地に戻ったようです。
その朝から、私たちは一切互いに口を聞かなくなりました。不可解な行動は2つありました。おとなしい武さんが香苗ちゃんの中絶に関しては急に暴力的になったこと。そして皆で決めたことをやり遂げただけの武さんに突然つかみかかった私。しかし私たちはその2つの謎を、謎のまま封印することにしたのです。数日後、ドラえもんが死んだと聞きました。死因は心臓発作だそうです。第一発見者は玉子さん。少なくとも、玉子さんが第一発見者だということになったようです。
たった一つの過ちから、私たちには暴力と死の運命がつきまとい出したようです。いや、過ちはたった一つではなかったのかもしれません。歴史上連綿と引き継がれた暴力と死の連鎖が、たまたま私たちのところにその枝葉をたどり着かせたのかもしれません。数多くの香苗ちゃんが、これまでも、今現在も、そしてこれからも、存在し続けるのだと思います。性によって傷つけられ、更に暴力によって傷つけられ、そして忘却によって再度傷つけられる。私もまた、言葉にできない怒りを表現し、暴力に暴力で応酬したにも関わらず、そんなことは無かったし、ありえなかったのだという物語をあてがわれる。でもやっぱり、女は強い、ということなのでしょうね。私たちは生きています。細々とですが、社会の中の不条理に四方八方から押し潰されそうになりながら、それでもそれをよけ、かわし、時には潰されることをも厭わず、何とか生きています。きっと生きているうちには外に戻って来れないであろうのび太さん。家族を残し自殺したスネ夫さん。その日は出かけていていないはずの妹の部屋から飛び出して来た暴漢に襲われて命を落とした武さん。
武さんは勝手な物語を作って私たちの触れてはいけない過去を隠蔽しようとしました。彼は単純に私たちの過去を、汚れのない、「子供時代」と呼ぶにふさわしいものへと書き換えたかったのかもしれません。けれどそれは、過去の秘密を覆い隠していた絆創膏、私たち全員が互いに舐めることもえぐることも避けて来た傷の応急処置を、全て台無しにする行為だったのです。過去は、1つに絞ってはいけないのです。過去は常に謎めいていて、分かるようで分からない、不可解がうごめいている場所なのです。そして、だからこそ私たちは生きていけていたのです。『ドラえもん』は、傷の形ももうぼんやりとしか思い出せなかった私たちにとって、傷の影を映し出してしまったのです。「お前らの過去は、この『ドラえもん』には描かれていない」と。否定神学が始まった途端、私たち一人一人は「『ドラえもん』に描かれなかった真実」の存在を突きつけられ、それを欲望してしまったのです。
私の目はつり上がっていません。小学生のころから今まで、太ったこともありません。小学3年生のときに初めてスカートを買ってもらい、嬉しくて毎日それを履いて学校に通っていました。けれど私は、『ドラえもん』に出てくる「しずかちゃん」が嫌だった。あまりにも、私と似ていた。武さんは当時の私をほぼ正確に描写していました。漫画のコマやアニメのセルが映さない源静香にはもっと色々な側面があったけれど、少なくとも見えていた部分に関しては作品通りでしょう。それが許せなかったのです。だから今日はこんなお話をしたのです。でも、全てが嘘だというわけではありません。香苗ちゃんは本当にいたし、ドラえもんは老人でした。老人を殺したのは私です。
老人が私に最初に声をかけたのは、ちょうど新しいスカートを履いて登校し始めた夏休み明けの2学期初頭のことでした。老人はのび太さんの家に住んでいる男性で、当時も今も、野比家といったいどんな関係にあったのか一切分かりません。しかし勝手にのび太さんの祖父だろうと思い込み、疑うことなく野比家へと付いて行きました。半年ほど放課後の老人との押入での「遊び」が続いたころ、老人は突然私を待ち伏せしなくなったのです。変に思い、ある日鍵の空いている野比家の裏口から侵入し、2階のドアを開け押入を開けると、香苗ちゃんと老人がいました。驚いた私は後ずさりをし、パッと振り向いてそのまま階段を駆け下り、裏口を出て走り出しました。老人とはそれっきり、話をすることもありませんでした。
こんなことを言うと、私は老人を独り占め出来なかったことによる嫉妬から老人を憎んでいたかのように聞こえるかもしれません。しかしそれは違います。1つには、私という存在が、つまり私の股間や胸という身体部位が、香苗ちゃんの股間や胸と交換可能なものであるということに衝撃を受けたこと。もう1つは、正にそれが故に、私の身体と香苗ちゃんの身体が重なりあうような感覚、一体となるような感覚、私の快楽が香苗ちゃんの快楽であり、香苗ちゃんの快楽が私の快楽でもあるという錯覚的な同一化が、私の香苗ちゃんを見る目を急激に変えてしまったのです。私の身体と香苗ちゃんの身体が同一なのであれば、私の身体は香苗ちゃんのもの、香苗ちゃんの身体はわたしのもの。そう考えるようになったのです。
だから、老人が香苗ちゃんの体を好きなようにしているときや、武さんが土管で香苗ちゃんの体に暴行をはたらいていたとき、私も同時に暴力を振るわれていたのです。私の身体、私の胸、私の性器、私の子宮。これらは、私が自ら守らなくてはならないものでした。今考えるとなんておこがましいことだろうと自分でも思います。香苗ちゃんの体は香苗ちゃんのものなのに。私は勝手にそれを「私が守る」対象として見ていたのです。でも当時の私には、それが全てでした。これが、当時の私の欲望です。『ドラえもん』が決して語らなかった欲望です。「しずかちゃん」が持つべきとされている願いや欲求からはほど遠い、私の秘密の欲望です。その欲望は、あのとき武さんを殴り続けた時に爆発したはずなのに。それをみんな見ていたはずなのに。
きっと、さっきも言ったように、消されるのは私か香苗ちゃんのどちらかだったのでしょう。香苗ちゃんが消されたのは、恐らく、彼女が老人に性的な虐待を受けていたからでも、望まぬ妊娠と中絶を経験したからでもありません。それは、香苗ちゃんが意味するものが、私の欲望だったからです。本当に消されたのは、私の欲望なのです。きょうび女は、欲望されること、虐待されること、妊娠させられてしまうこと、中絶させられてしまうこと、つまり身体のコントロールを奪われることになっても、物語から抹消されたりしません。いとも簡単に消されるのは、欲望する女、虐待する女、妊娠させる女、中絶させる女なのです。私の欲望を、暴力を、香苗ちゃんの身体の所有を、『ドラえもん』は消し去ったのです。香苗ちゃんそのものを消すことによって。
2011年1月2日
こんばんは、直月です。高橋さん、素敵なご紹介ありがとうございます。集まって頂いた皆様にも、感謝を申し上げます。今回2009年度日本漫画賞を頂きました作品『虹のビオレッタ』ですが、夕栄出版の高橋編集長をはじめ、編集・校正を担当して下さった宇梶さん、解説を書いて下さったエッセイストの杉エイゴさん、そしてこの作品を手に取って読んで下さった皆さんがいなければ受賞には至らなかったと思います。本当にありがとうございました。少し長くなってしまいますが、こうして常々お世話になっている皆さんに、今日は大事なお知らせがあります。
私がクリスチーネ剛田という名前で漫画を描いていたことがある、と知ったら、ここにいる皆さんは非常に驚かれることでしょう。そんな名前は聞いたことがない、という方もいらっしゃるかもしれません。ここには出版業界の人間ではない皆さんもいらっしゃいますからね。クリスチーネ剛田は、1975年から1996年まで複数の雑誌でポルノ漫画を描いていました。私、直月理乃がクリスチーネ剛田と同一人物であるということは漫画業界ではある程度知られた事実ですが、一般に公表するのはこれが初めてになります。今日はプレスも揃ってお出でですから、是非包み隠さず報道して頂けたらと思います。
98年以降私が直月理乃名義で描いた作品に惹かれてファンになって下さった方には、ショッキングな告白に聞こえるかもしれません。ガッカリさせてしまっていたら、本当に申し訳なく思います。ですが本日皆さんにお話したいことと、私がクリスチーネ剛田だったことは、切っても切れない関係にあるのです。
業界の人間でしたら、剛田という名前でピンと来る方もいらっしゃるでしょう。私は、剛田武という男の妹です。『ドラえもん』の作者、と言えば、みなさんお分かりでしょう。ニュースでも散々取り上げられましたから、彼が昨年9月23日にこの世を去ったこともご存知ですよね。何よりも世間を驚かせたのは、兄を殺した犯人が彼の元同級生、しかも名前を「片岡のび太」とする人物だったということでした。ほとんどの方はそれまで『ドラえもん』を完全なフィクションだと思っていたことでしょう。しかし「のび太」という名前がメディアに現れたことで、『ドラえもん』が兄の小学生時代の経験を基にしたセミ・フィクションだったことが世に知れ渡りました。更に、今年4月には静香さんが雑誌のインタビューにこたえています。「クリスチーネ剛田」という名前がメディアに登場したのは、だいたい10年ぶりくらいだったと思います。さすがに直月理乃の名前を出すのは憚られたのでしょう。私も4月の段階では心の準備が出来ていませんでしたから、静香さんの配慮には感謝しています。
インタビューで、静香さんはとても多くのことを明かしました。『ドラえもん』で描かれなかった静香さん自身の欲望、香苗ちゃんの存在、ドラえもんが実は老人で、ふたりと関係を持っていたこと、そして私の兄が香苗ちゃんの体を傷つけることで中絶を行ったこと…。とてもとても重い過去です。子どもだった私たちには抱えきれないような生々しい過去を、それでも私たちは背負い、ひた隠しにして、これまで生きてきました。静香さんも仰っていた通り、いま現在所在が分かっているのは玉子さんと静香さんと私の3人だけです。のび太さんも、一応所在は分かっていますけれど、獄中で寿命を迎えるのではないでしょうか。私たち以外の人間は、みな、『ドラえもん』という作品の登場をきっかけに、壊れてしまいました。いや、ある意味私たち全員、壊れてしまったのかも知れません。
インタビューが掲載される段になって、静香さんから連絡をもらいましたが、この話を公表してもいいかと聞かれ、私は迷いました。はっきり言って、私は構わない。だって私はもう直月理乃として生活をしているし、クリスチーネ剛田の名前で何を暴露されても、出版業界の人間は黙っていてくれるだろうとも思いました。この10年で直月としてやっと築いたキャリアが、それまでの私の人生の50年間を白紙にし、塗り替えるプロセスだったことを出版の人たちも理解してくれていましたし。しかし、他の人はどうだろう。「香苗ちゃん」は静香さんが作った偽名だから、実際の香苗ちゃんには被害は及ばないだろう。スネ夫さんのご家族も旧姓に戻されたし、きっと平気だ。でも玉子さんはどうだろうか。玉子さんは90歳を超えても未だに片岡玉子として言論活動をされていました。『ドラえもん』の作者殺しの犯人「のび太」の名字が片岡であると世に知られたとき、メディアは玉子さんのもとに殺到しました。その時の心労から玉子さんは入院してしまったのですが、そんな中、またこの、「『ドラえもん』の真相」とでもいうようなセンセーションを継続させるのは、玉子さんを更に傷つけるだけなのでは…。そう思い、静香さんには「玉子さんの判断に任せる」とだけ伝えました。
しかし、静香さんにとってこのインタビューはとっても重要なものだったのでしょうね。玉子さんには一切相談せず、掲載に踏み切ったようです。心身ともに弱っていた玉子さんは、インタビュー掲載の3ヶ月後、先月ですね、病室でこの世を去りました。静香さんのインタビューが直接の原因だったかどうかはわかりません。それに、私には静香さんを責める権利などないでしょう。私は、当時香苗ちゃんと兄のあいだに何が起きていたのかを知りながら、沈黙を守り通し、全ての暴力が具体化したあの夜も、家を抜け出す兄を見送り、自分の部屋でひとり漫画を描いていたのですから。私は静香さんたちがあの時経験した残酷さを目のあたりにすることなく、また、それに支配されるような人生を送ることもなく、生きてこれた側の人間なのです。語る、という行為は、人を自由にします。静香さんが自由になるためにあのインタビューの掲載に踏み切ったのであれば、私は彼女の自由を制限する権利を持っていません。
それに、私自身、玉子さんの最期には責任があります。これが、今日みなさんに最も伝えたかったことです。のび太さんは私のために沈黙を守ってくれましたが、私はこれ以上黙り続けることが出来ないと悟りました。語ることが人を自由にする反面、語りは人を不自由にもします。私は、61歳になる今日(こんにち)まで、黙り続けて来ました。黙ることが、私を自由にしていた部分があったのだと思います。そして、今度は私が語る番です。語ることで、私は自由を諦めなければならない。そう思って、今日はこの場を借りてみなさんに発表します。
私は去年、片岡のび太と協力して、兄・剛田武を殺害しました。
どうかみなさん、ご安心ください。そして落ち着いて最後まで話を聞いてください。この受賞パーティが始まる前に既に警察には連絡をしました。うしろの出口の両脇にいる方々は警察の方です。スピーチが終わり次第、私は手錠をかけられ、連行され、法の裁きを受けることになります。兄の殺害には関与しましたが、他の誰を殺したいとも思っていませんし、みなさんに危害を与えることはありません。どうか最後まで話を聞いてください。どうして兄を殺そうとしたのか、それだけ、みなさんに説明したら、このスピーチは終わりです。
どうして、と言っても、言い訳をしたいわけではありません。これは、静香さんが口火を切った「『ドラえもん』の真相」の続きだと思ってください。私は、子供の頃から兄に好意を持っていました。気持ち悪いと思われるかも知れませんが、性的に惹かれていた、というのが正確かもしれません。私が小学校5年生になったころ、兄が香苗ちゃんを家に呼ぶようになりました。初めのうちは私も一緒になって遊んでいたのですが、ある時期から兄と香苗ちゃんがふたりきりで部屋にこもって遊ぶことが増えました。私は香苗ちゃんに兄を取られてしまったような気持ちになり、こっそり襖の間から中を覗いてみたのです。当時の私はふたりが何をしているのか理解することは出来ませんでしたが、下着を脱いだ香苗ちゃんのスカートをめくって見入っている兄を見て、得も言われぬ気持ちになったのです。香苗ちゃんの下半身には私のものと似たものが付いている。それを兄が見つめている。そしてそれを私は背後からのぞき見している。それからというもの、香苗ちゃんがうちに遊びに来ることは苦痛でもあり、快楽でもありました。自慰を覚えたのもその時期です。のぞき見しながら自慰をして、その夜はそれを思い出してもう一度自慰をする。しかし不思議なことに、思い出すのはいつも、香苗ちゃんの体だったのです。私は兄が好きで、兄を見ていたのだと思ったのですが、想像の中での兄は、香苗ちゃんの背景にしか過ぎなかったのです。その場のスペクタクルは、兄の目が、指が、舌が、ペニスが欲望の対象とする香苗ちゃんの性器そのものを中心に展開していたのであって、私はじきに、そのようなスペクタクルである香苗ちゃん自身へと欲望を向けるようになったのです。想像の中で、私は兄自身になって、香苗ちゃんの体を所有しようとしていたのです。
しかし本当のことを言えば、兄に自分の性器を欲望される想像をしたことがないわけではありません。正確には、兄の欲望の対象になりたいと思いながら、同時に兄に同一化したいと思っていたのでしょう。奇妙な経験だと思われるでしょうが、私はそれからというもの、兄のような人間になりたいという気持ちと、兄に欲望されるような人間になりたいという気持ちの両方に引き裂かれる思いを持ってきました。兄のようになろうとすれば、それは兄に欲望されないようになっていくのと同じで、逆に兄に欲望されるような人間になろうとすれば、それは兄に「同等」とは扱ってもらえない、単なる欲望の対象としか見てもらえないということを意味していたのです。それは、あの空き地での夜以降、更なる妊娠を防ぐために香苗ちゃんとの性的関係を封印した兄が月経前の私を利用し始めたときに分かったことです。中学に上がったとき、私は兄に「もうやめて」と言いました。
私が中学2年生のとき、兄は漫画の描き方を教えろと言いました。兄との共通点が出来るのが嬉しくて、私はそれまでに得た知識と技術を全て兄に教え込みました。兄は上達が速く、1年も経つと私と一緒に作品を出版社に送るようになっていました。初めのうちこそ箸にも棒にもかからない状態でしたが、あるとき兄が友人と一緒に投稿した4コマ漫画が採用され、なんとデビューに至ったのです。私は、兄の欲望の対象にもなれない上に、兄と同等になることも出来ないのかと、打ちのめされる思いでした。それからの兄は、有名な漫画家と知り合いになったり、トキワ荘に住むようになったりと、当時漫画家を目指していた人間が全員うらやむような道を歩んでいきました。時々スランプがあったり、うまくいかない時期があったようではありましたが、作品が世に知られるようになると、仕事を世話してやろうか、というようなことを私に言ってくるようになりました。ですが私はそれを毎回断っていました。私も同じ道を歩まなければいけない、そのためには私もどこかに投稿した漫画が採用されて、有名な漫画家と知り合いになって、トキワ荘に住むようになって……と、必死で毎日漫画を描き続けました。
そうして、気づいたら私は28歳になっていました。兄は既に大きなヒット作品を作り出していた時期です。一方私は成長を忘れたかのように、まだ実家に住み、仕事もせず、ろくな生活をしていませんでした。この家を出るときはトキワ荘に引っ越す時だ、という今考えればバカみたいなこだわりを、とうとう捨てる時が来ました。私はとにかく安いアパートを探し、今でいうアルバイトを始め、そのあいまに漫画を描いていました。その頃には時々回ってくる漫画の仕事が2ヶ月に1つくらいあって、それも何かの冊子のイラストだったり、小さい雑誌の読み切り程度でしたが、悔しい反面、嬉しくもありました。そういった繋がりから、編集者や漫画家の友人も数人いました。「実家を出たのよ」と編集者の友人とカフェで話したら、彼が言いにくそうに、こう言ったのです。「ゴウちゃんさぁ、オレ、今度異動になって、1本連載の仕事任せられることになったんだよね。それで、ゴウちゃんにどうかなぁと思うんだけど……」。私がふたつ返事で承諾したその仕事は、男性向けのポルノ雑誌の漫画でした。
クリスチーネ剛田の誕生です。いや、初めは違う名前でしたが、2つめの連載の仕事のときにクリスチーネ剛田にしました。本当は私が描きたかった種類の漫画でデビューするときに使おうと思っていた名前でしたが、ポルノ漫画の売れること売れること。1つめの連載が終わった頃には、私はこれで食っていこうと決めていました。クリスチーネ剛田は大して有名にもなりませんでしたが、連載も常に平均して2本、読み切りを1年に3本くらい出せるようになり、ある程度安定した生活が出来るくらいにはなりました。初めの頃は、描く女性のモデルはみんな香苗ちゃん、男性のモデルはみんな兄、という感じでしたが、慣れてくるにつれて、キャラクターや設定を作り上げたり、性の描写にバリエーションを付けるテクニックを身につけていきました。といっても、男性読者が読みたいプロットなんて、そもそもバリエーションに乏しいものだったのですけれどもね。レイプだの中絶だの痴漢だの近親相姦だの、そういう、現実の世界に蔓延している悪を、ちょっと設定を変えてやるだけで、読者は喜ぶのだと分かってしまったのです。鍵となるのは、「被害を受ける女が、それを喜んでいる、つまり被害ではなかったのだ」という設定にすること。クリスチーネ剛田は、レイプや近親相姦を大いに作品に取り入れ、ある程度支持を受けるようになって行きました。
そんな中、兄が『ドラえもん』の連載を開始しました。やっとクリスチーネ剛田として、兄を追いかける人生に終止符を打ったというのに、兄はどんどん出世し、なおかつそれを私の目から隠せないほどに有名でした。スネオさんの自殺が翌年の1980年、その10年後くらいに香苗ちゃんが四国に行きましたが、私は『ドラえもん』という作品の中身に憤怒した彼ら彼女らとは違う理由で、すなわち同じ漫画家としての嫉妬、同一化したいのに出来ない兄へのフラストレーション、兄がかつて欲望した私の漫画の技術がもう兄の欲望の的ではないことへの絶望など、そういった理由で、兄に対して悪意を持つようになっていたのです。そして、その悪意が、長年煮え続けたのび太さんの悪意と結びついた結果が、去年の兄の死です。
そんなことで、と思われるかも知れません。ポルノ漫画だって他の漫画と変わらない、立派な作品だ、と言って下さる方もいるでしょう。当時の私も、そういう周囲の声に支えられて描いていたところがあります。ですが、どんなに気を強く持とうとしても、ポルノ漫画家であるということにつきまとう烙印は、私にとっては苦痛でした。実家の母には「恥さらしだ」と言われ、遠方に嫁に行ったことにされました。職業を明かさなければならない状況では、漫画家だと言うと「何を描いてらっしゃるんですか?」と純粋な好奇心を向けられ、そのたびに嘘を付くのが苦痛でした。周囲の男性は、私が女性のポルノ漫画家だというだけで、セクハラのような発言をしたり、時には性的な関係を強要してくる人もいました。近しい友人でも、です。悔しかった。プライドを持ってポルノ漫画を描いている人も周りにはいました。ですが、私はどうしてもプライドを持てなかった。彼ら彼女らを見下している部分もあった。私はいつか「ちゃんとした」漫画を書くんだ、兄のような漫画家になるんだ、という思いを捨てられずにいたのです。また同時に、男が女を貶めている作品ばっかりを描いていた自分にも、嫌気が差していました。ですから、仕事の傍ら、別名で出版社にポルノではない漫画を描いては送っていました。
50歳になって運が回ってきた私は、一般の漫画雑誌に読み切りを載せてもらえるようになりました。半年後には連載の話も頂き、1週間かけて考えた「直月理乃」というペンネームを紙に書いて出版社にFAXで送ったときには、手が震えて何度も書き直しました。しかしそれから直月理乃は鳴かず飛ばずの10年を過ごすことになります。もう一度ポルノ漫画の世界に戻ろうか、と考えたこともありました。しかし、「一般漫画」と「ポルノ漫画」は、「男」と「女」のように、異なる価値を与えられています。ポルノ漫画を描いていて、しかも女だった日には、漫画家の中では最も劣位に置かれた存在です。「一般漫画」の世界にこだわることは、私にとって、兄と同じ土俵に立ち続けることと同義でした。ですがそれは、同じ土俵において、兄に負け続けることとも同義でした。
兄は、よく私の作品についての感想をFAXで送ってくれました。「今回のはちょっと展開が早過ぎるね」「キャラクターをもっといかしたほうがいい」「忙しいのかな?ちょっと絵が雑だったよ」「〇〇先生の作品に影響を受けすぎてるよ」。褒めてくれることもありました。「このあいだの読み切りはよかったね。ああいうのをもっと書いたほうがいい」「今回の展開はオッと思ったよ」。いずれにしても、彼のFAXを見るたびに、吐き気がしました。私は、いつまでたってもこの人よりも下なのか。この人を超える日は一生来ないのか。はっきり言って、私の漫画の技術は兄よりも上でした。プロットも、描画も、キャラクターも、コマ割りも、私から見れば兄の作品はみな同じパターンの連続でしたし、それがいいんだ、と言われればおしまいですけれど、私は彼の作品に引き込まれたことはありませんでした。それでも、私は兄に「もっとこうしたほうがいい」とか「今回のはよかったね」なんていうFAXは送らなかった。送らなかったし、送ろうと思っても送れなかった。前提に、兄が上で、私が下というのがあったから。
のび太さんから連絡を受けたとき、私はまさに兄から辛辣な「感想」をFAXで受け取った直後でした。もう十年以上連絡を取っていなかった私たちは1時間くらい話し込み、今度静香さんと3人で食事でもしようか、という話などをしました。ああそろそろ寝ないと明日の打ち合わせに間に合わないな、と私が時計を見てふと思ったときに、のび太さんが『ドラえもん』の話をし始めたのです。その時初めて私はスネ夫さんの自殺や香苗ちゃんが四国へ行ったことを知りました。「どうしても許せないんだよね…」と遠慮がちに言うのび太さんに、私は同意しました。それから数度のび太さんと直接会って『ドラえもん』の話をするうちに、少しずつ、私たちは剛田武殺しの計画を固めて行ったのです。
メディアではのび太さんがベランダから侵入して兄を待ち伏せしたことになっていましたが、彼をマンションの部屋に入れたのは私です。というのも、兄は以前マンションを購入した際に「君の仕事場にしなさいよ」と言って私のための部屋をひとつ用意してくれていたのです。もちろん、使ったことはありませんでしたが、一応スペアキーだけは持っていました。そうしてのび太さんを部屋に入れ、私はマンションを去りました。実際にどうやってのび太さんが兄を殺したのかまではわかりませんが、計画通りに進んだのであれば、のび太さんは、かつて兄が香苗ちゃんにそうしたように、腹部を強くけったり殴ったりして殺したはずです。また、書きかけの原稿やこれまで受賞したトロフィー、賞状、コンピュータなども全てめちゃくちゃにして来て欲しい、という私の要望が滞りなく実行に移されたのも、あとで部屋の整理をしに行ったときにきちんと確認しました。これが、『ドラえもん』の作者の死の真相です。静香さんも知らない私の欲望が、半世紀越しに暴力へと昇華したのです。
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これで、みなさんにお伝えしたかったことは全てです。長い時間を取ってしまって申し訳ありません。また、今回の日本漫画賞受賞を、とても嬉しく思います。もちろん、去年受賞していれば兄は死なずに済んだかも知れませんが、そんなことより、私はいま、かつて兄の実力を認めたこの賞が、私の実力をやっと認めてくれたということに涙が止まりません。喜びの涙でもあり、悔しい涙でもあります。『虹のビオレッタ』は、ある兄妹の物語です。兄も妹も、重要なキャラクターです。しかし、何がなんでも主人公は妹にしようと思いました。常に脇役だった私、黙っていた私、いつもフラストレーションを抱えていた私、セリフの少なかった私。そんな「ジャイ子」は、『ドラえもん』でも正にそのまま描かれています。今の私、直月理乃は、60歳を超えてやっと主人公になれました。仕事を認められた女が、殺人に関与した経験を持ち、それを告白し、警察に連行される。なんと立派な主人公でしょう。みなさん、主人公の私を、さぁ見送ってください!
2011年4月17日
そうだ、野比という名前にしよう。すっかり灰が長くなった煙草を灰皿に押し付け、玉子は決めた。暑苦しさの抜けた心地良い風が、開け放した窓から入り込む。急に目の前の靄が消え、全てがうまく行く感触を得た玉子は、その昂奮のまま窓から外に駆け出したい気持ちになった。
思いつくことだけは大胆な玉子が、もちろんそれを実行に移すことはない。こんな真夜中に外を走り回れたらどれだけ気分がいいか。そう思いながら、玉子は立ち上がって窓の外を眺めた。暗く輪郭を見せる山の頂が、玉子がこれから目指そうとしているゴールのように思えてきた。山登りの経験は無かったが、頂上に至るまでに相応の苦難が待ち受けていることは分かっていた。
それでも、と玉子は後ろを振り返り玉夫の寝顔に目を遣る。玉子より四つも年下の玉夫は、まだ幼さの残るあどけなさで、口を半開きにして眠っていた。
「わたしが守るからね」
自分の口から出た言葉ながら、映画みたいだと苦笑した。そうだ、映画のようなものなのだ、と玉子は取り出した新しい煙草に火をつけながら窓のふちに腰を置いた。映画のようなドラマチックな展開になることは間違いなかった。いや、と玉子は思い直す。私と玉夫は、これまでの映画のような生活から逃げ出すために「野比」の名を名乗って生きて行くのだ。
野比玉子、野比玉夫、いいじゃないか。二人合わせて「のびのび」だ。タエの生まれた横須賀にある野比一丁目から取った安易な名前だったが、案外、しっくりくるものだ。いい名前なんていうものは、大体後付けで意味が与えられたものなのかもしれない、と玉子は一人納得する。
日が昇れば、タエが部屋に戻る。それまでにここを去っていること、それがタエの出した条件だった。朝方尋ねたときは眠たげな表情を一瞬で吹き飛ばし殊勝に再会を喜んでみせたくせに、事情を聞いたとたんタエは一瞬面倒くさそうな表情を見せた。売女が偉そうに、と玉子は思ったが、タエのボロ長屋しか行くところがないのだから仕方ない。そこも、日昇までに玉夫を連れて出ていかなければならないのだ。悔しさが玉子に唇を窄ませた。
しかし、行くあてが無いのだった。タエが置いて行ってくれたとりあえずの夕飯を玉夫がうまいうまいと言って食べたときは、少しだけ心を落ち着けることが出来た。ここ丸三日というもの始終気を張っていた玉子にとって、玉夫が嬉しそうな顔をするのが何よりもの救いだった。食欲を満たした玉夫はさっさと布団に体を埋め、掛け布団もかけずにそのまま眠った。
何も心配してくれるな、私が全て何とかするから、という気丈な心持ちが玉子を突き動かしていたのは事実だったが、こうまで寛がれると、これからずっと私は気を張り続けなければいけないのか、と落胆する。父母の家を黙って抜けだしてから三日間、玉子は自分の決断が果たして本当に玉夫と自分にとって最善のものだったのか、ずっと答えを出せずにいた。
——あるいは、私にとってのみ、最善だったのか。家を出るのは、本当に玉夫のことを思ってのことだったのか。
そんな思いを打ち消すように、玉子は手許の煙草を深く一吸いしてから窓の外に放り投げた。タエの煙草を勝手に吸っていることに、玉子は一切の良心の呵責も感じなかった。
何も無い畳の上にあった小さな木製のケースには、タエが下品に散らかした化粧品にまみれて未開封の煙草が二箱置いてあった。タエが仕事に出てすぐに玉子は煙草を手に取り、箱に書かれた商品名を見た。知らない名前だ。漢字の読み方も分からない。どうせ洒落たインテリが吸ってるような銘柄なのだろうと、タエに腹を立てた。
ここを出るときにはもう一箱も失敬していこう。どうせ汚い仕事をして買った煙草なのだ。玉子はそう考える自分も汚れた存在になった気がした。これから先、私はタエのような仕事をすることもあるのだろうか。タエの煙草を半分も空にしたのだから、私の体はもう汚い売女のそれと変わらないのかもしれない。嫌悪感と同時に、自分の中に不愉快なまでに昂ぶる感情があるのを玉子は認めた。
玉子の母は、新婦人協会の賛助員だった。『青鞜』とかいう雑誌を読み、父からもらったペンで熱心に線を引く姿は、玉子に複雑な思いを抱かせた。母は読み書きを遅くなって覚えたらしく、時々知らない漢字や表現について、帰宅した父に尋ねたりしていた。
「玉ちゃん、これからは女の人も自由になる時代よ。玉ちゃんもきっといつか素敵なお母さんになって、旦那さんや子ども、ひいては日本を支えるのよ」
そんなことを聞いても、玉子は不愉快になるだけだった。母のどこが自由なのか、皆目分からなかったからだ。母は「社会」とか「国家」とか、難しい言葉を会話に挟むのが好きだった。うんうん、と頷く父にも、玉子は苛立ちを感じていた。自分が稼いだ金で『青鞜』を買い、自分が買ってやったペンでそれに線を引き、わからない言葉があれば自分に意味を尋ねる女。それに適当に相槌をうつのは、さぞかし気分のいいものだっただろう。玉子は父も母も嫌いだった。
いつの日か玉子は、自分は子どもを産まない、経済的自立をするんだ、と決めていた。「ケイザイテキジリツ」という言葉は母がよく口に出していたから、玉子も自然に知っていた。どうやら母は、その言葉が嫌いらしいということも。だから自分はケイザイテキジリツをする、というのは単純に過ぎるかもしれない。しかし玉子には、何があっても母と同じ道は歩まない、という強い決心があった。
玉夫が苦しそうに寝返りを打った。普段暑がりでもなんでもない玉夫が、眠っている時だけは異常に汗を掻くことを玉子は知っていた。自分が窓に腰掛けているせいで風を遮っているような気がして、音を立てないように気をつけながら膝を曲げ、玉子は腰を畳に降ろした。外から見れば、窓の中に頭ひとつ飛び出た形だ。首の横を気持ちのよい風が通り過ぎて、部屋に入っていった。
「姉ちゃん、寒い」
くぐもった声で玉夫が言った。
「起きてたの」
「いや、寝てた。窓閉めてくれる」
「いいけど、汗掻いてるじゃない」
「暑くはないよ。逆に汗が冷えて寒いよ」
何となしに自分の気遣いを否定された気がして、向かい処の無い苛立ちを指先に込めて渋くなった窓を閉めた。
タエは何時頃帰るのだろう。玉子は既に家を出たのを後悔し始めていた。玉夫が起きているのが分かったからか、遠慮なしに玉子は大きな溜息をついた。玉夫は面倒くさそうに壁を向き直り、器用に掛け布団を手繰り、体に巻きつけた。まだ眠るつもりなのか。何だかんだで、空が明るくなり始めようとしている。
「姉ちゃん寝ないの?」
無神経な質問だ、と玉子は更に苛立った。お前が布団を占拠しているから寝れないんだろう、と言いたくなった。と同時に、布団を自分のものにしたところで寝られるような気分にないことは、玉子自身よく分かっていた。寝ないよ、と一言言うと、玉夫はやる気のない生返事を返した。あぁ、また会話が終わった、と玉子は思った。
玉子は決して話好きではなかったが、会話の終わりというものがひどく嫌いだった。特に、相手の発言が会話の終わりを促していると分かると、会話を続けるのか終えるのかの判断を自分に押し付けられた気がして、嫌な思いをするのだった。『青鞜』の感想を語る母にいつも中途半端な返事をしていた父を思い出す。「そうか」「なるほど」「へえ」「いやあ」「ふうん」「うん」。父の声はいつもこんな何ともつかないようなセリフで再生される。他のことを言っているのを思い出そうとしても、そんな記憶が無いのだった。
玉夫に父の幻影を見た気がして、玉子は果たしてどうしたものかと考え込んだ。一人で逃げたほうが生き延びるのは簡単だろうという計算もあった。
明るくなったら玉夫を家に追い返し、私はタエにもう少しだけここに置いてもらおう。金は少しならある。家賃ということでそこから少しタエに遣れば、タエも嫌とは言わないだろう。煙草を勝手に吸ったのをタエは怒るだろうか。この時間なら飲み屋のあたりに行けば煙草くらい買えるだろうと思ったが、知らない街に出るのは不安もあった。それに、起きて私がいなかったら玉夫は不安に思うだろうか、とも思った。追い返す予定の人間になぜ今更気を遣うのだとすぐに思い直したが、いずれにしても煙草の件は気づかれる前に謝ってしまえばいいだろうと楽観的に考えることにした。変わってしまったとはいえ、タエとは小学校以来の幼馴染みではないか。きっと許してくれる。
「のびのび」のコンビは解消かと思うと、少し侘しい気持ちもある。そんな心積りがあったことすらまだ玉夫には話していないのに。「一緒に家を出よう」と言ったときに真剣な顔をして頷いた玉夫にもある程度は未来に希望を感じる部分があったのかもしれないと思うと、「のびのび」計画を話して玉夫の昂揚する顔を見てみたいという気持ちになった。そうすれば、自分もまた、玉夫と一緒に生きていく決心が付けられるかもしれないと思ったからだ。
時間はある。いつの間にか火を点けていた煙草をアルミの灰皿に置き、玉子は前屈みになって玉夫の肩に手を延ばした。とんとん、と叩くと、まだ眠りについていなかったのか、玉夫が「ん?」と言って振り向き、薄明かりの中で眠たげな目を半分ほど開いた。
「ねえ、『野比玉子』って名前、どう思う?」
ケイザイテキジリツというやつは、どうやらそう簡単には手に入らないらしい。タエのいる佐野市までは無銭乗車というやつをやったが、一人で追い返す以上玉夫には汽車代を持たせたほうが安心だった。いや、むしろ捕まってくれれば、インテリぶって体面を取り繕うタイプの母と父を困らせることが出来たか——一瞬そう思ったが、そんなことはもうどうでもよくなってもいた。
玉夫を追い返した次の日、タエが仕事場に一緒に来てみないかと玉子を誘った。仕事場って売春するところでしょう、という言葉が口を出そうになったが、黙ってタエが続けるのを待った。タエ曰く、そこは厳密には売春宿ではないらしい。余程玉子が不安気な表情を浮かべていたのだろう。
「やだなあ玉ちゃん、私、醜業婦なんかじゃないよお」
ついこの間まで売女だと思っていた女が自分が使うよりも余程蔑みを込めた言葉で彼女たちを表現したことに、玉子は心の中で笑った。
「ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだけど、タエちゃん夜に仕事しているって言うから」
「娼妓になるにゃあ色々と面倒くさいし、街に出て淫売やるんだって大変らしいよお。あ、友だちから聞いた話だけどねえ」
二十にもなって語尾を変に伸ばすタエの癖が気になったが、とにかく自分が今夜連れて行かれるのが座敷でないのには安心した。
「玉ちゃん知ってるう? 佐野市には朝鮮の人が結構移り住んで来てんだよ」
玉子が生まれる数年前に朝鮮が日本に併合されたという話は聞いていた。母がその件について父に意見を求めたことがあったからだ。父は「いいんじゃないかい」などとのらりくらりかわしていたが、母は「まあねえ」と相槌を打ちながらも納得行かない様子だった。言葉が通じない朝鮮人に出会ったらどうしたらいいんだろうと単純に思いながら、玉子はさしてどういったことでもないかのように忘れていた。
「それでね、私その人たちの仕事手伝ったりしてんだよね」
「へえ。大変じゃない」
「大変なことはないわよお。みんないい人だもの」
「だって、言葉とか。どうやって話すの」
「みいんな日本語上手だよお。朝鮮では日本語勉強させられるんだって」
「そうなの」
タエの「みいんな」という言い方に、耳慣れない抑揚が込められていた。この辺りの方言なのだろうか。田舎から出てきたのだからと張り切って方言を押し込めている自分を逆に笑われている気がした。
「仕事って、どんなことするの」
「まあまあ、行ってみれば分かるってえ」
ふと、こんな女と一緒にいて経済的自立など出来るのだろうかと不安が過ぎった。併合と言ったって、日本に来た朝鮮人が蔑みの対象であることは誰の目にも明らかだった。中には密航者もいるらしいと母が言っていたのを思い出す。朝鮮人と働いているような女と一緒にいたら、いつになってもまともな生活など出来ないのではなかろうか。玉子は近いうちにタエの部屋を出ようと決意した。
歩いて二十分もすると、タエの仕事場の前に到着した。日は既に落ちて、風が吹くと肘の辺りに寒さを感じた。季節は無情にも巡るのだ、と玉子は思った。父母の家を出て最初の晩は汽車の中で眠った。二晩目は道沿いの納屋に身を潜めた。秋になればそんなことも出来なくなるだろう。寄り添って体を交わらせる玉夫ももういないのだ。
ふと、玉夫が無事に帰路を終えられたかと不安になった。汽車代と、タエが拵えた握り飯二つしか持たせていない。途中で何かあれば玉夫一人ではどうしようもないだろう。男とはいえ、まだ十六なのだ。気になって駅の方角を見遣る。汽車はもう動いていないはずだが、玉夫を乗せた汽車が出発の汽笛を鳴らせた音だけが鮮明に蘇った。
あの時、玉夫は不満そうな表情にほんの少し安堵の色を浮かべていた。玉夫なりに、今後の行く末を不安に思っていたのだろう。もう大丈夫だよ、お前はお父ちゃんとお母ちゃんのところに戻って、まともな人間になりな。みるみる小さくなる汽車の尻に向かって、玉子はそう強く思った。
玉夫が「まともな人間」になるなら、対照的に私はまともじゃない人間になっていくことを選んだのだろうか。あるいは、元よりまともな人間などには成り得ない運命だったのか。
「玉ちゃん、これからは女の人も自由になる時代よ。玉ちゃんもきっといつか素敵なお母さんになって、旦那さんや子ども、ひいては日本を支えるのよ」
母の声が聞こえた気がして振り返ると、そこには母と同じころの年の女がいた。傍らに幼い娘を連れて、手に持った郵便物か何かの束を確かめる振りをしながらこちらを気にしている。繁華街という程でもない街だが、どうにもこの場に似つかわしくない親子連れに、玉子は奇妙な感覚を覚えた。玉子の方に一瞥くれたあと、女は娘の手を取って何やら玉子の知らない言葉を放ち、背後の建物に入っていった。
気持ちの悪い女だ。そう玉子は思った。私は朝鮮の人間とは合わないらしい、とまで思った。しかし、それも母から受け継いだ性質なのかもしれないと思うと嫌悪感が先に立った。朝鮮人に受け入れられ、自分も彼らを受け入れることは、母とは違う道を進む第一歩かもしれないと思い、もらえるものなら仕事をもらって帰ろうと心に決めた。
「でね、玉ちゃん。ねえ玉ちゃん、聞いてるんけえ?」
強い訛りを語尾に込めてタエが言うのを認めると、作り笑いもそろそろ限界かと思いながら玉子は取り繕った。
「ごめんごめん、ここが仕事場ね」
「だからあ、一応私の仕事場はここだけどお、みんなの仕事場は違うんだってばあ」
話を聞いてなかったのが明らかになってしまった以上、食い下がるしかなかった。
「あ、そうなの。ごめんね、ちょっと玉夫のことが心配になって、ぼーっとしちゃった」
玉夫の名前を出すと、タエはあからさまに嫌な顔をした。タエは気づいているのだろうか。玉夫と私がそういう関係であることを。
「ま、とにかくう、まずはみんなを起こしに行きましょ」
汚い長屋は、タエの住んでいるところより一段も二段も程度の悪いものだった。この辺りは織物が中心だとタエから聞いていたから、てっきりタエはその類の下働きでもさせられているのかと思ったが、長屋に住む男たちを起こし、身なりを整えさせ、長屋から送り出すと今度は男たちの部屋の掃除をし始めた。
部屋は全部で二つ。布団が無造作に並べられた大きな部屋の奥に適当に拵えた台所があり、その横が手洗い所のようだった。更に奥のもう一つの部屋はよく見えなかったが、タエはそこから男たちの服や身の回りの物を出して彼らに渡していたから倉庫のようなものだろう。変な建物だ、と玉子は思った。元は個々の部屋がある長屋だったのだろうが、それではこの人数が住むことは出来ないということで、壁を抜いたような感じだった。
しかし、男たちの共同生活とはこんなにひどいものかと驚く。男たちを見送るタエに付いて三和土まで行くと、丁寧に並べておいた玉子の靴がとんでもない方向にひっくり返っていた。ざっと見て十二、三人といったところか。彼らはこんな時間から一体何の仕事をしているのだろう。
適当に掃除の手伝いをしながら、玉子はタエに聞いた。
「ねえ、あの人たちって何してる人たち。朝鮮の人よね」
「そうよお、朝鮮から来た人たち」
箒の先を窓の外に出してちゃっちゃっちゃと埃を落としながらタエが答えた。
「何やってる人たち」
「うーん、玉ちゃん、こういうの平気かなあ」
半ばひとり言のようにタエが言う。勿体ぶるタエの振る舞いに苛立ちを感じるが、仕事を紹介してもらえるかもしれないと思うと強く出れないのが口惜しかった。
「あのねえ、あの人たち、売ってるのよ」
「何を」
少し考えてからタエが答える。
「体を」
一瞬タエの言っている意味が分からなかった。父はマルキシストよろしく「労働者は疎外されているんだよ」とか偉そうに頷きながら言っていたけれど、タエはそういう意味で言ったのではないだろう。体を売るということは、読んで字の如く身体部位を売るということでもあるまい。そもそも売れるのは血くらいのものだし、毎日少しずつ売れるようなものでもない。であれば——
「役人さんとか、お武家さんには、若い男がいいって人が結構いるんだ」
「あの人たち、朝鮮から来て、日本の偉い男に抱かれて稼いでるってこと?」
あまりに直接的過ぎたかと言ったあとに後悔したが、タエは「そうそう」と軽く頷いた。箒は役目を終えたらしく、倉庫らしき部屋に仕舞われていった。代わりに雑巾と桶を持って出てきたタエが、手許から雑巾を一つ玉子に投げ遣る。
「ごめん、ちょっと手伝ってくれるう?」
タエの仕事は、体を売りに行くという男たちの寝床を夕方訪れ、彼らを起こし、身支度をして送り出す。そして彼らが「役人さんとか、お武家さん」の相手をしている間に掃除、洗濯をし、男たちの飯を作って彼らが帰るのを朝方まで待つ、というものだった。食事を作ったらもう帰ってもいいんじゃないかと思ったが、タエ曰く、長屋の留守番も兼ねている上に、男たちが無事に帰ったことの確認をするのも彼女の仕事なのだった。「無事に帰る」とは、雛たちが逃げ出さずにきちんと鳥籠に戻るという意味なのだろうと思った。
朝方男たちが一人、また一人と長屋に戻り始めたとき、玉子は敷き詰められた布団の一角で眠りこけていた。タエは男たちに声をかけ、飯を配っていた。玉子はのそりと起き上がって、タエの横まで行って飯を盛るのを手伝った。なるほどたしかに男たちの日本語はまあまあのものだった。堅苦しい感じが抜けないのは教科書で勉強したからだろう。それだけ若く、日本に来て間もないということだ。
陽の光の差し込む中でよく見れば、みな容貌もまあまあのものである。中でもシアという男は一際目立っていた。十八、十九に見える他の男たちの中で、一人だけ元服前のような顔と仕草をしていた。疲れているらしく虚ろな目をしていたところに「シアッ」と声をかけられて飯の列に渋々並んだ。
玉子は玉夫を思い出し、シアを愛おしいと感じた。じっと見つめながら飯を盛っていると、シアも玉子の方を見遣った。照れくさくなって視線を横に逸らすと、タエが軽蔑するような目でこちらを見ていた。玉子と目が合ったタエはさっと前を向き直ったが、玉子は今すぐにでもタエに飛びついて張り倒してやりたい気持ちになった。しかし少しの間はタエの部屋に厄介にならなくてはならない。ぐっと堪えた。
玉子が視線を前に戻すと、シアが消えていた。辺りを見回すと、シアを見つけるより前に、見慣れない女を観察する男たちの視線が突き刺さった。昨夜は暗く視界が悪かった上に、さっきまで寝ぼけていた玉子は気付かなかったが、男たちはタエが連れて来た女を見定めていたのだった。
異国の男たちが十人もの大群で自分に襲いかかってくるのを想像して、玉子は恐怖と同時に昂奮を覚えた。また、それとは対照的に、シアのような弱々しい男に襲いかかりたいという欲望もあった。口付けをしたらシアはどんな顔をするだろう。体を触らせたらシアは昂奮して勃起するだろうか。そこに手を触れたらシアはどんな声で喜ぶだろうか。朝鮮の言葉でも、そういう時に発する言葉が何かあるだろう。一つか二つ覚えておけば、そういうことになった時シアが喜ぶだろうか。
タエが片付けをし始めたので、如何わしい想像をするのをやめて玉子も鍋を洗い場に運んだ。横目に探すと、シアが布団に潜っていくのが見えた。あんなに若いうちからこんな仕事をしているのかと思うと、少し不憫な気持ちになった。
タエは割烹着を脱ぎ、何か朝鮮の言葉で男たちに声を掛けて長屋を出た。玉子は追いかけるようにして出たものの、タエは疲労から、一方玉子はシアのことを考えていたせいで、帰路は二人とも始終無口だった。
「玉子、ロウソク終わった」
最年長のチェが声をかけた。寝ぼけ眼で起き上がり、何も言わず倉庫に行き鍵を開けて中に入る。真っ暗な倉庫でもロウソクの保管場所が分かるほどに、玉子は長屋の間取りを把握していた。タエの部屋を出てもう一年以上が経っていた。タエは他の仕事を見つけたとか言って、週に一度手伝いにくればいい方だった。ロウソクを3本手に取って、倉庫を出てチェに手渡す。チェは礼も言わず燭台に戻ってロウソクに火を灯す。途端に長屋の全体が見渡せるようになった。
布団の方を見るとシアがなめらかな黒い前髪を乱して眠っていた。口は半開き、寝汗を掻いていた。今でも玉子は時々玉夫のことを思い出す。父母の家でうまくやっているだろうか。それとも今度は一人で家を出たか。もう十七になる。それくらいの気概が出てもおかしくない。あるいは、父母の奴隷に成り戻ったか。私一人を悪者にして、姉にいたずらされた可哀想な少年の位置に舞い戻ったか。自分だって喜んで腰を振っていたじゃないか、変態野郎が。そう思うと、少しだけ自分の罪が軽くなったような気がする。
「シア」
シアの布団に潜り込むと、敷き布団に染み込んでいた玉子の体温はすっかり飛散していた。チェが恨めしい。囁くように声を掛けた玉子に、シアが何ともつかない声を出しながら擦り寄って来る。シアは今年十五になる。しかし朝鮮では年の数え方が違うらしく、日本では十四歳とみなされるそうだ。どうでもいい。玉子は思った。年なんて人が決めた時間の区切りでしかない。現に、朝鮮と日本では年齢が違うなんていうことが起きてるんだ。シアが十五だろうと十四だろうと、玉子はシアを愛おしいと感じ、シアは玉子になついている。玉子にはそれで充分だった。
シアを抱き寄せ、シアの尻に沿って左手を滑らせる。チェたちの目が気になっていたのも最初の数ヶ月で、シアと玉子が交わっていることは既に全員が見知っていることだった。シアが右足を少し上げ、玉子の左足に絡めて玉子の左手を受け入れる。尻を撫で回した玉子の手が下着の横から滑り入ると、シアの体が一瞬強張る。
——シアは本当はこんなことしたくないのだろうか
時々そう思うことがあった。その都度玉子は、自分がとても非道い人間に思えて落胆するのだった。シアの肛門は柔らかい。それもまた玉子にとってはつらい事実だった。私だけのものにしたいという独占欲は無かったが、シアがつらい思いをしているんじゃないかと思うと、胸が張り裂ける思いだった。いつかシアを連れてこの街から逃げよう、とさえ思っていた。しかし、どこに? 玉子の野望は、いつもそこで立ち行かなくなってしまう。玉子には、土地に根を張ってしまう性(しょう)があるらしい。
シアは陰茎よりも、肛門と陰嚢の間を刺激されるのを好んだ。玉子にはよく分からなかったが、本人が望んでいるのだったらそうするのが一番いいだろうと思った。下着の横から差し入れた指でその辺りをぐっぐっと押し続けていると、シアの息が荒くなった。そろそろか、と思い、玉子は指をそのまま強く圧しつけ、固定した。シアの体が数秒間強張り、そして小さな嬌声と共に脱力した。
——これで交わったと言えるのだろうか
玉子はシアの下着から指を引き抜き、右肩を軸にゆっくり仰向けになった。もう既に眠そうなシアも、同様に反対側に回って仰向けになった。玉子が住み込みで働くようになって3日後初めて体を重ねた玉子とシアだったが、突然こういった指でのよく分からない場所への刺激を求められた。それ以来この変な習慣は毎晩続いている。シアは玉子の体に一切の執着を見せなかった。
シアは男が好きなのかもしれない。そう思うと、女の体を持っている自分が憎くなった。男のように陰茎が付いていれば、シアの肛門を突くことが出来るのに。そうすればきっとシアは喜ぶのだろう。畜生。普段シアを抱いている「役人さんとか、お武家さん」のことが突然憎くなった。陰茎なんていう下らないものが付いているというだけで、偉そうにしやがって。
シアもシアだ。あんなものの何がいい。お前は自分の陰茎なんて使わないくせに。だったらお前が女になって、私にその陰茎を寄越せ。玉子はゆっくり起き上がり、布団を半分除けた。シアの腰から下が露呈し、ロウソクの灯りで下着に影が出来ている。畜生。陰茎があるから影が出来るんだろう。偉そうに。
玉子は怒りに任せてシアの下着をずらして、まだ生え揃わないシアの陰毛を眺めた。ふと、シアが毎晩毎晩絶頂に達しているというのに、射精のあとが一切見当たらないことに気づいた。まだ精通していないのか。いや、玉夫は九つでとうに精通した。十五のシアが精通前だとしたら、随分と人の成長は疎らなものだ。下着を更に下へとずらすと、布が丸めてあるのが見えた。まさか射精の処理が面倒臭いからと言って下着の中に布を入れているのか。好色だな。そう思って布を抜き取って、玉子は目を見開いた。
「玉ちゃん、急いで!」
タエが帰るなり叫んだ。玉子はまたタエのところに厄介になっていた。シアが女だったという衝撃に戦き、玉子はシアに布団を被せてそのまま長屋を後にした。しばらくの間タエは口を聞いてくれなかったが、新しい仕事を辞めてまた長屋の留守番仕事に入ってくれた。事情は話せずとも、シアと何かがあったのだろうということはタエも感づいている。軽蔑しながらも何だかんだで玉子を追い出さないのは、幼馴染みの腐れ縁か、あるいは弱みを握って後で得をしようという打算か。
「チェたちのところに警察が来てる」
シアたち、と言わないところに気遣いなのか嫌味なのか分からない気味の悪さを感じたが、警察という言葉に玉子も只事ではないと強張った。あいつらは密航者だったのか。夜な夜なシアの布団に入る玉子をチェら年長組は軽蔑していたが、それでも昼間は適当に会話もし、時には一緒に鍋を囲んで笑い合うこともあった。ほんの少しばかり朝鮮語を覚えた玉子が、チェたちに発音を笑われて不貞腐れる、というのがお決まりの流れだった。それが、楽しかった。シアと一緒にいたいという気持ちが強かったのは確かだが、チェたちとの交流も、玉子を長屋に一年も居座らせた要因の一つだった。それなのにシアが女だと分かった瞬間に全てを棄てて逃げた自分が情けなかった。
タエと長屋に着くと、既に警察がチェたちを道へ引きずり出した後と見えて、見慣れた朝鮮人たちが横並びに縄に縛られていた。駆け出そうとした玉子をタエが制止する。なぜ、という顔をした玉子にタエが小声で言った。
「玉ちゃんも朝鮮人だと思われて逮捕されちゃうよ」
「でも私は日本人だよ。言えば分かってくれるでしょう」
「日本人かどうかなんてどうやって確かめるのよ。佐野に戸籍を移したわけでもあるまいし、調べるにしたって、玉ちゃんを捕まえて独房とかに入れたあとにゆっくりやるに決まってる。調べてもくれないかもしれない」
タエはいつの間にこんな場慣れした女になったのだろうと、憧れとも軽蔑とも取れない変な感情が沸き上がったが、確かにその通りかもしれないと思った。家出した娘のことなど父母がどうこうしてくれるとも思えない。タエの忠告は、玉子を現実に引き戻すのに充分だった。
——でも
長屋の壁に沿って並ばされた列にシアがいないのが気になった。逃げたのだろうか。あるいは、既に——。
急に悲しさが込み上げてきた。いや、あるいは、後悔が。私はなぜシアを置いて逃げたのだろう。シアに聞きたいことは沢山あった。どうして男の格好をしていたのか。私が陰茎を妬み、欲しいと思ったのと同じような感情だったのか。あるいはもっと強い信念を持って男として生きていたのか。また、若い男目当てで金を出したお偉方に女と知れて殴られたりはしなかったか。男に抱かれることは本意だったのか。女を、男を、何をシアは愛していたのか。あるいは、何よりも聞きたいのは、私を愛してくれてはいたのか、ということだった。
もう何もシアに聞くことが出来ないと思うと、玉子は自分が憎くて仕方がなかった。涙の出そうな目に力を込めて、じっとチェたちを見た。もしシアがまだ中にいるのなら——あるいは私からは死角に入っているだけか——いずれにしても、今この場を見届けければいけないという使命感に駆られていた。
チェと目が合った。身を隠して様子を窺っている私を、チェは軽蔑するだろうか。寝食を共にしておきながら、シアとの一件に衝撃を受けて立ち直れず、あれから一度も長屋に足を踏み入れなかった私を、いつものあの目付きで、冷酷に蔑むだろうか。私は、その蔑みを受けることをも使命だと思い、チェを見つめ返した。さあ、蔑め。私は警察が怖い。日本人だから大丈夫だろうと傲慢にもたかをくくっていたような馬鹿だ。密航者であるチェたちがこれまで生きてきた波乱万丈のほんのちょっとも理解出来ないような、家出初心者だ。私はあんたたちが普通にずっとここにいられると思ってた。いつかシアと結婚したいとまで思ってた。そんなこと普通に出来ると思ってた。笑え。馬鹿な女だと笑えばいい。
強引に見つめ返す玉子に、チェは左の口角を上げて笑みを寄越して見せた。笑うと左の口角だけが上がるのは、チェの癖だった。そこに嫌味や含意が無いことを玉子は知っていた。玉子が混乱していると、チェは朝鮮語で大声を上げた。
「シアは逃げた!」
「逃げる」という言葉は、玉子が初めに覚えた朝鮮語の一つだった。売春している者たちにとって、そして祖国を離れて来た人間にとって「逃げる」という言葉は、身近過ぎて、そして胸が焼けるような言葉だ。
シアが逃げた。玉子は腰が抜けるほど安心した。人は逃げたらもう逃げ続けるしか道はない。シアは今後も逃げ続ける人生を生きることだろう。けれど、今この場で逮捕されるのとどちらがいいか。シアの気持ちは分からないが、玉子は何よりもシアがこの場を逃れたことを心から喜んだ。
「朝鮮語を使うな!」
警官の一人が棍棒を高く振り上げ、チェの頭を強く殴った。思わず玉子は目を塞いだが、棍棒がチェの頭に当たる時のゴンっという音と、そのまま倒れ込むチェの膝が地面に当たる音が玉子の耳には無情にも突き刺さった。警官は呻くチェの頭に更に棍棒を何度も打ち付け、その度にゴンっゴンっという鈍い音が聞こえた。
響く殴打音の中玉子が涙を溜めた目を薄く開けると、タエもまた泣いていた。しかしタエは、声を出さまいと、あるいは鼻も啜らまいと、そしてチェの受けている仕打ちを目に焼き付けようとでもしているのか、涙も鼻汁も全て垂れ流しのまま、真正面を向いて、目を見開いたまま号泣していた。そうだ、タエは私が佐野に来る前からチェを知っているのだった。そして朝鮮語も私より遥かに話すことが出来た。チェが私にシアが逃げたことを告げ、そのために今この場で殺されかけていることを、タエは全て理解している。
チェの方を向き直ると、チェはもう虫の息だった。かろうじて左手の指がひくひくと動いているのが、まだ生きていることの証拠だった。どうかもう勘弁してくれ、せめて生きたまま逮捕してくれ、と何が正義だか分からない願いを玉子が心の中で呟いた瞬間だった。警官はチェの左手をダンっと思い切り踏みつけ、もう片方の足でチェの顔面を蹴り上げた。
他の朝鮮人たちは黙って俯いていた。どうしようもないのだろう。逆らえば同じ目に遭うのは目に見えていた。せめて生きたまま逮捕してくれ——朝鮮人たちの顔にも、同じ悲痛な思いが見て取れた。
チェの死体は警官が二人がかりで担いでいった。そして朝鮮人たちの繋がれた縄が引かれ、長屋前の喧騒は一気に路地へと消え入った。シアが逃げたことに心からよかったと思いつつも、自分にそれを伝えるために命を捨てたチェ、そしてこれからどんな目に遭うのか想像も出来ない朝鮮人たち。玉子の頭は様々な思いが渦巻き、何も考えられずにいた。その場にへたり込み泣き腫らした玉子とタエは、互いに目を合わせないまま、どちらともなく立ち上がり、歩き出した。
シアはもう長屋の近くにはいないだろう。どこか遠くへ逃げているはずだ。一人で勝手に逃げる度胸、あるいは狡賢さのある男ではない。チェたちが逃がしたのだろう。だとしたら、金は持たせただろうか。どこに行けばいいか、伝えただろうか。そうでないなら、シアは、当てもない孤独な旅に出てしまったのだ。次に行く場所は定まらないのに、移動し続けなければ、逃げ続けなければならない人生。
——私とは、同じで、違う
玉子は、次に行く場所の当てがない自分とシアを重ね、それでも一所に根を張ることが出来る自分がどれだけ恵まれているかに思いを馳せた。感じるのは、ただ無力感だった。逃げ続ける人生とは、どんなものなのだろうか。朝鮮と日本、そのあいだにあって、どちらにも根を張らない人生とは、どんなものなのだろうか。そして、女と男、そのあいだにあって、どちらにも根を張らない人生とは。
あるいはシアは、朝鮮と日本、女と男、どちらかに根を張りたいと思っているだろうか。日本にいるのだから、日本に居続けたいと願っているのだろうと考えるのは単純に過ぎるだろうか。あるいは、男の格好をしているのだから、下着に布を入れてまでして男として生きているのだから、男であり続けたいと願っているのだろうと考えるのは単純に過ぎるだろうか。
とぼとぼと歩いていると、駅が左手に見えてきた。ふと、柱の影にシアの姿が見えた気がした。陽が傾きかけているために、よく見ることが出来ない。玉子は目を細める。歩を止めた玉子の方を振り向き、そして玉子の目線の先を追ったタエが言った。
「玉ちゃん、あれシアくんじゃない」
分からない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「そうかもしれない」
楽観的な方だけ、タエに言った。
「最後に、会ってきたら」
タエは残酷なことを言う、と思う。何を言えというのだ。「さようなら」は既に、私が長屋を去った日に言ってしまったようなものだ。「お元気で」なんて、追われている人間に言えるか。「ごめんなさい」——何に? 謝りたい気持ちはあったが、具体的にこれとあれとそれについてごめんなさい、と謝れるような単純なものではなかった。タエの「最後に」という言葉も、玉子には堪えていた。
もう二度と会えないのだ。そう思ったら、何の言葉も思いつかなかった。畜生。私が警察だったらいいのに。畜生、畜生。私が縄を持って、シアのところに駆けて行って、縛ってしまいたい。私に権力があったら、シアをずっとここに置いてやりたい。玉子は、母がよく使っていた「権力」なんていう言葉で自分の感情を表していることにも気づかず、苛立った。
遠くのシアは、近づいてくる汽車の音に気づき、何の荷物も持たずに駅の中に入って行った。ああ、また私は汽笛を聞くのか。玉子は絶望的な気持ちになった。
玉夫は汽車に乗り、元居た場所へと帰って行った。シアもまた汽車に乗る。しかし玉夫とは違い、シアは居たことのない地へと向かって行くのだ。玉夫は今後ずっと、「ここではないどこか」を夢見ながら生きることだろう。そしてシアはずっと「ここではないどこか」に追いやられて行く。全く正反対だな、と考えていると、全て見透かしたようにタエが言った。
「あんたはどこに行くの」
そうだ、私には帰る場所も無ければ、追って来る刺客もいないんだった。移動しない人生。それは、生きるということと矛盾してしまわないか。生きることは、変化し続けることだろう。玉夫はそれを諦め、奴隷になって行った。奴隷もいつかは反乱を起こして自由を手に入れるだろうか。それでも、玉夫はそれを横で見ている類の人間だろう。ではシアは。シアは移動し続ける、変化し続ける。それは、生きていることだろうか。そうかもしれない。でも、ではなぜ、玉夫の体は生き続け、シアの体は常に死と隣り合わせなのか。
夕日がしっかりと真横から駅を照らしている。そろそろ汽笛が鳴って、シアをどこか、ここではない場所に連れて行ってしまうだろう。シアの終着駅はどこだ。私の終着駅は一体——
玉子は駈け出した。いつも考えるだけで実行に移さない玉子だったが、今は何も考えが無かった。ただ一目散に駅に向かった。玉子には、今から自分の生が始まるのだという確信があった。
「さようなら、玉ちゃん」
遠く背後から、タエの声が聞こえた。そうだ、その通りだ。シアにかける言葉は思いつかないが、玉子は走りながら小さく、力強く言った。
「さようなら、片岡玉子」
あとがき 村江輝夜
片岡玉子、いや野比玉子がこの原稿を送って来たのは二年前、二〇〇九年七月二十四日の夕方だった。当時文筆家・片岡玉子の編集担当をしていた私は二日置きに彼女の病室に足を運んでいたが、私には筆を進めていることなど一切伝えず、老いた体を死に任せるように随分と小さくなってしまっていた。親類のいない先生が一人で病と戦いながら書いた原稿。私はすぐに印刷し、それを握りしめて病院に向かった。
追伸には「明日にも死ぬ体」とあった。私は原稿を読みながらタクシーの後部座席で涙を堪えた。先生に何かがあれば病院から私に連絡が来ることになっていたので、まだ持ちこたえているのだろうという希望を持つことが出来た。原稿を読み終えた私は、携帯電話を取り出してリダイヤルボタンを押す。
「はい、西新宿南総合病院放射線科ナースステーションです」
「あ、片岡玉子の…」
何だろう、と電話をする度にここで止まってしまう。私は玉子さんの何にあたるのだろう。「編集担当」と言っても玉子の事情を知らない看護師には分からないだろう。では、玉子さんも私も今まで知らずにいた事実、握りしめた玉子からのメールに書かれた真実をここで暴露すべきか。
「あの、村江です。片岡玉子の看病をしている」
結局普段と同じ言い方でやり過ごした。
「ああ、ちょうどご連絡差し上げるところでした」
そう言って看護師は何か書類を取り出している様子だった。悪い報せなのかと冷や汗を掻いた。
「出来れば今夜中にいらして頂きたいのですが」
そのつもりだ、と伝えて電話を切った。到着するまで持ち堪えて欲しい、その一心でタクシーの窓から病院の方角を見つめた。
先生からのメールには、原稿の他に次のような文章が添付されていた。長くなるが、全文を掲載する。
村江さん、如何でしたか。私の文筆活動の最後を締めくくるには、ちょっと生々しすぎたでしょうか。昨今在日コリアンの皆さんに対する反感や攻撃が強まっている気運がありますから、すぐに出版という訳にはいかないかもしれませんね。出版時期や媒体については村江さんのご判断に全てお任せ致します。私としましては、いつか世に出ればいいという気概で書きましたので、急ぐものでもありません。あるいは、ある程度事態が落ち着いてからの方がいいかもしれませんね。いずれに致しましても、村江さんのお力添えで、いつか出版に漕ぎつけていただければ、と思います。何卒宜しくお願いします。
もうお分かりだと思いますが、今回の原稿はノンフィクションです。私が二十歳から二十一歳になるまで佐野市というところに住んでいた時の記憶を辿って、筆を進めました。『ドラえもん』の出版以降野比を名乗るのを止め片岡玉子として言論活動をして参りましたが、そもそもなぜ私が片岡の名を封じて野比玉子を名乗るようになったのか、その経緯が分かっていただけると思います。
その他にも書きたいことは山ほどあるのですが、私もすっかり老いました。夏を越せるかどうかは分からない、というのが担当医の見解です。九十一歳まで生きられたこと、そして最後まで文章を書くことが出来たこと。本当に幸運だとしか言いようがありませんが、ご存知の通りフィクション小説や文芸批評にかまけた私は、自分自身のことについて語るということを怠って参りました。ですから、源静香さんが4月の雑誌で「独白」と称して過去を語っているのを見て、私は正直、うらやましいっと思いました。自分を語ることで、静香さんがようやく自らの怒りを、暴力を、そして「欲望」を表現し、世間にそれを知らしめることが出来た。うらやましいっ。単純にそう思ったのです。
そういった馬鹿みたいな動機で私の最後の原稿に手を付けましたが、小説の形式を気にしながら書くということが、どうやら私の老いた頭には相当な負担になったようです。本当ならこの続きを書きたい。あともう少し、ほんの数ヶ月でいいから寿命を延ばしてもらいたい、と祈りましたが、パソコンに向かって物を書くのはあと一日限りと、世に言うドクターストップがかかってしまいました。ですので、最後の一日を、長年お世話になった村江さんへのお手紙を書くことに費やそうと思いました。
以下には、本編『さようなら、片岡玉子』の続きに書こうと思っていたことが書いてあります。恐らく、静香さんを皮切りに今後更に広がって行くであろう『ドラえもん』登場人物による暴露の連鎖の一端を担うようなものになるでしょう。夏には直月理乃先生が日本漫画賞を受賞なさることに決まったそうですね。恐らくそこでも何らかの発表があると思います。村江さんの同僚には「漫画なんて」と小馬鹿にしている方もいらっしゃいますが、どうぞ私への弔いと思って、皆様ご出席なさるようご説得下さい。「ドラえもんは老人でした」という部分が一斉に世の話題をさらった静香さんのインタビューですが、老人と言われるとは玉夫も可哀想なものだなと思います。私より四つも年下で、当時まだ三十七、八だったのですから。確かに老けこんで見窄らしい姿にはなっていましたが、そうは言っても五十代中盤くらいの見た目だったと思いますよ。と言っても、小学生だった静香さんからしたら充分に老人に見えたのでしょうね。二十代の頃はまだ可愛げのある顔をしていたんですけれど。
何はともあれ玉夫が静香さんや香苗さんにしたことは許されないことです。あ、村江さんはもうお分かりだと思いますが、香苗さんという名前は静香さんが作った仮名です。本名はシア・テヨンさん、当時のあだ名はヨンちゃんでした。(この部分は、もしこの手紙を公開される場合は省略してください。ヨンちゃんはご結婚されて名字が変わっているはずですし、現在は通名で生活なさっているでしょうから大きな問題は無いとは思いますが、先程申し上げた通り現在在日コリアンへの嫌悪が再燃しておりますので、念のため注意を払って頂けたらと思います。)
玉夫は静香さんにもヨンちゃんにもひどいことをしていました。それを知っていて何もしなかった私も、お二人には本当に申し訳ないと思っています。ですから静香さんが玉夫を殺したとき、私はそれを警察には言いませんでした。当然の怒りだと思いましたし、玉夫の死は私を過去の呪縛から解き放ってくれるものでもありましたから、正直安堵の念もありました。
私が佐野に残り玉夫を父母の家に送り返してから四年後、二十歳になったばかりの頃に玉夫は徴兵されました。あと数年で終戦という時期でしたから、軍が誰彼構わず徴兵していた時代ですね。母は政治的な関係で「行くな」とは言えず、涙を目に浮かべて送り出したそうです。父は最後まで抵抗したそうですが、逮捕をちらつかせた軍関係者に最終的には負けてしまったようです。田舎ではインテリぶって威張っておいて、結局国家に負けるのでは、父の権力も財力もそれだけのものだったということでしょう。そんな力を持つことがいいことか悪いことかは分かりませんが、見掛け倒しの小さな男だなと玉夫が後で漏らしていました。
大戦ではあまり危険なところに送られることはなかったようですが、元々軍の訓練を受けたわけでもなく、田舎ですっかりスポイルされた玉夫は生死をかけた戦いを初めて目の当たりにして、今でいうPTSDの状態になりました。学校には戻れず、かと言って家にずっといたのでは体面が悪い、ということで父母が私に目を付け、玉夫を送りつけてきたのです。
私が今で言う西新宿に住んでいたことは、タエ経由で父母にも知らせてありました。嫌っていたとは言え、そしてそれ以上に嫌われていたとは言え、生きているのか、どのあたりで生活をしているのかくらいのことは知らせておくべきだと思ったのです。今思えば、おかげで玉夫が手許に戻ったのですから、正解でした。
玉夫はすっかり頬が痩け、かつて気弱さをカバーして有り余るほどだった若さのエネルギーがどこかに消えてしまっていました。当時は鬱病という言葉もPTSDなどという洒落た言い方もなかった時代ですから、医者に診てもらったところで追い返されるだけと思い、西新宿の自宅に引き取って面倒をみました。シアとは二つか三つ違いだったと思います。しかし一緒に住んでみて、隣に座っている二人を見比べるとシアとの違いは明らかでした。不憫だなと思いました。
私があの時送り返さなければ戦争など行かなくて済んだかもしれない。当時はそんな思いで毎晩泣きました。シアは私を弟思いの良い姉だと思ったようでしたが、当の私はあんなに愛でていた魅力的な少年がここまで堕ちてしまうのかという落胆の思いの方が強かったのが正直なところです。
それでも、玉夫の精神はみるみる回復して行きました。時々冗談に笑顔で反応するようになったり、自暴自棄になって伸ばしっぱなしだった髪を自分から切ってほしいと言ってきたり、少しずつ会話も増えて行きました。玉夫が来てから半年も経つと私はまた玉夫に惹かれるようになり、シアに嘘を付いては出掛けさせ、自宅で玉夫とセックスをする日々が続きました。精神的な回復が完全でない故に時々見せる過剰な動揺やチック症状なども含めて、とても愛おしいと感じていたのです。本編の方はもう読まれたでしょうから、私が大人の落ち着いた男なんかより未熟さを見せる男に惹かれる性癖を持っていることは村江さんももうお分かりですよね。お恥ずかしい告白ですが、もう人生いよいよ短くなって参りましたから、洗いざらい言ってしまいます。
私と玉夫は、実の父から性的な虐待を受けていました。と言っても暴力的なものではなく、あくまで性的に私と玉夫を喜ばせるのが父の楽しみという感じでした。私たちもさして嫌がるわけでもなく、人間の体って面白いな、触るところによって気持ちよかったりくすぐったかったりするんだな、くらいのことを思っていました。ですから、今で言うトラウマのようなものは私にはありませんでした。玉夫がどう思っていたかは、私には分かりません。
そのうち、父がいない時にも玉夫と私はその遊びをするようになり、思春期にも関わらず外で恋愛などせず姉弟でそんなことばかりしていました。一番楽しかったのは、玉夫が父に責められているのを見ることでした。中学に入って少し無口になった玉夫も父にペニスや肛門を舐められている時などはよく声を出したので、私も面白がって色々なことを玉夫にするようになりました。可愛いなあと思うようになったのはこの頃です。一方で、何をするにも冷静沈着に、一切感情の起伏を感じさせない父の振る舞いは嫌いでした。大人の男に惹かれないのはこの頃からだったようです。
母は、私たちが何をしていたのか知っていました。すっかり性に関しての感覚が鈍っていたのか、私は戸の隙間から覗く母に対してどうして部屋に入ってきて一緒に遊ばないのだろうかと不思議に思ってすらいたんですが、母の目線を追うと、そこにはいつも玉夫がいました。ああ、母は玉夫にしか興味が無いのだなと思うと、言いようのない寂しい気持ちになったのを覚えています。また同時に、母の玉夫を見る性的な視線を意識したことが、私が玉夫に惹かれるきっかけになった側面もあります。
かくしてペニスは、男の欲望と女の欲望の両方の主人公であったのか、という絶望が後になってやって来ました。それが、本編後半の私の心境です。当時は、ペニスを手に入れれば全てが手に入るような気がしていました。実際には殆どの男が何にも手に入れることなど出来ていないのに。馬鹿ですね。そしてペニスなど無くても欲しい物が手に入ることはある、ペニスなんかより余程欲しがるべき物は沢山ある、ということも後になってやっと学んだことです。それは、シアが教えてくれました。
玉夫が西新宿に来たことで、私は以前より随分と落ち着いた目で玉夫のペニスを眺めることが出来ました。随分滑稽なものだ、と思ったものです。シアの繊細で持久力のある性器に比べて、何と武骨で、せっかちで、役立たずなのかと。しかし役立たずでも一つだけ得意な分野がありますね。射精です。私はある日玉夫の子を孕んでいることを医師に告げられました。
「双子です、おめでとうございます」
おめでたくなんてありませんでした。まず、シアに伝えるべきか迷いました。ペニスというやつは普段は何の役目も果たさないくせに、こういう取り返しの付かないミスばかり起こして、自分は平気な顔をしてヴァギナに負担を押し付けるのだから、本当に頭に来ます。玉夫がタイミングを間違えたあの日、もっときちんと掻き出しておくんだったと後悔しました。
シアは冷静に話を聞いてくれました。
「三人で育てればいい」
シアは子どもが生まれるのが楽しみだとも言いました。私は本当にこれでいいのかと自問しながらもついに堕胎が出来ない時期に入ってしまい、結局生むことにしました。と言っても当時のことですから、まともな医者はそもそも堕胎に首肯などしませんでしたけれども。
もう村江さんはお分かりだと思います。生まれた姉をテヨン、弟をのび太と名づけました。テヨンが朝鮮名なのはシアの痕跡を次の世代に継ぎたかったから。そうでもしないと、シアはいつの間にかいなかったことにされてしまうのではないかという不安が私にはありました。のび太はもちろん「のびのび」と生きて欲しいという願いから付けました。一人で、私と玉夫が築こうとした未来を生きて欲しいと思ったのです。私たちは誰も戸籍を共にしていませんでしたから、法律上の名字は私の過去の名前、片岡になりました。でものび太には野比姓を名乗ってもらおうと決めていました。
片岡テヨンと野比のび太。朝鮮と日本。女と男。私の過去と現在。全てが私の人生を物語っていました。私の子どもに、これ以上に相応しい名前は無いと確信したんです。
ところが、テヨンとのび太が三歳になって間もなく、シアがテヨンを連れて失踪したのです。私はそこら中探し回りました。捜索願を出せば不法滞在扱いのシアに不都合が生じると思い、人づてにシアの居場所を突き止めようとしましたが、不可能でした。朝鮮語が多少分かると言っても、在日コリアンのコミュニティに行ったところで私は余所者でしかありません。棍棒で殴られて死んだチェのことを思えば、戦後間もないあの時期、日本人がたどたどしい朝鮮語で朝鮮人を探しまわっていたら警戒するのが当然です。
仕方がないと諦めるまでに、あまり時間はかかりませんでした。玉夫がいたからです。シアの代わりになるというのではありません。私が子どものこと、シアのことばかりを気にしている間に、玉夫はPTSDの症状を悪化させ、一人で何をするにも困難を来すようになっていたのです。
ああ、これは罰だ。私は思いました。私も母や父と同じように、そして軍隊や戦争と同じように、玉夫を壊してしまった。父のようにも母のようにもなりたくない、ケイザイテキジリツをするんだと息巻いて、好き勝手移動し続けた結果、そのしっぺ返しが今になって降り掛かってきたんだ。私は、玉夫を支えて生きて行くことを決意しました。
「わたしが守るからね」
久しぶりにその言葉を口にしました。映画みたい。そう、映画のようでした。それまでも、そしてそれからもずっと。私の人生は言うなれば、『映画 ドラえもん 創世記』。全てはここから始まったのです。ろくなことが無い人生だ。村江さんはそう思っておられることでしょう。私もそう思います。十年後に再会したテヨンは剛田くんに堕胎させられ、すっかり老人と化した玉夫は静香さんに殺され、のび太は剛田くんを殺して獄中。とんでもない人生です。シアが逃げたのも、私と離れることでテヨンを私の不幸から守ろうとしたのかもしれません。
のび太の小学校の保護者会で再会したシアは、私に気づくと体を緊張させ、ゆっくりと軽い会釈をしました。目許が光ったのは涙だったのか、あるいは西窓から差し込んだ陽が彼のメガネに反射したのか。いずれにせよ、シアは正しい選択をしたと思います。国境を、そして性別を移動した結果、移動し続けなければ生き延びられない身になってしまったのですから。
願わくば、シアのような人間が住む地に根を張れる社会を。願わくば、シアのような人間が自由に性別を選べる社会を。願わくば、玉夫のような人間を壊してしまわない社会を。願わくば、玉夫のように壊れてしまった人間がもっと楽に生きて行ける社会を。
願わくば、私のような人間も、救われる社会を。平成二十一年七月二十一日夏の日に
野比玉子追伸
医師にお願いして、十分間だけパソコンを打つ時間を貰いました。私はもう明日にも死ぬ体です。そこで村江さんにお願いがあります。『さようなら、片岡玉子』本編から、前半部分を全て削除して下さい。我儘申し上げて申し訳ありません。何卒宜しくお願い致します。
追伸にある通り、本編の前半は削除してある。その理由は私にはよく分からなかったが、故人の遺志を尊重したい。
先生の病室に到着した私は、昨晩にも増して衰弱した様子の先生に駆け寄った。ベッドの横に看護師がいたが、軽く会釈をしながら去って行った。ああ、もう医者や看護師がどうこう出来る段階ではないのだと悟り、ナースステーションに行くのは後でいいと判断した。
「先生、村江です。分かりますか」
先生の目がゆっくり私の顔をとらえる。度の強い眼鏡はテレビの横に置いてあるから、私の顔など本当は見えていないのだろう。ゆっくり口元を動かして先生が言った。
「メール」
「見ました。最後の原稿、確かに受け取りました」
安心したように息をふうと吐き、先生の目が天井に戻る。
「あの、先生。私、テヨンです」
言おうか言わまいか迷い続けた言葉がすんなり出てきたことに、自分でも驚いた。しかし先生は虚ろな目を天井に向けたまま、こちらを見ようとしない。重ねる言葉が思いつかなかった。先生が知りたがっているのではないかということを一方的にでも話そうと思った。ベッド横の椅子に腰掛けながら続ける。
「私は十二歳まで大阪で育ちました。公園での出来事から数年後にまた大阪に戻って、父に大学まで進学させて貰いました。村江輝夜という通名は大学からずっと使っています。玉子さんに黙っていてごめんなさい。でも玉子さんが私の母親だということはメールを読むまで知りませんでした。それから、父は私が大学を出てすぐに韓国に渡り、一昨年鬼籍に入りました」
一気に捲くし立てるように言った。私の六十三年の人生、父の八十三年の人生はこんなに単純だっただろうかと思いながらも、今ここで死にゆく先生に言えることは限られていた。
「それから、二十年くらい前に私が四国の親戚のところに身を寄せたというのは、私が流した嘘です。『ドラえもん』のことはショックでしたが、私は過去に縛られたくなかった。玉子さんは、テヨンに親戚がいるなんて有り得ないということを分かっていたと思います。私村江がテヨンだということも、もしかしたら勘づかれているのかもしれないと思ったことが時々ありました」
先生の顔が少し緊張を解いたように見えた。あるいは、顔の筋肉がそれだけ衰えていたということか。
少しだけ迷って、こう付け加えた。
「先生、私は『ドラえもん』の外側の人間です。それでも、同時に、先生が生きた証でもあります。私は『ドラえもん』という呪縛から解放されることを選びます。先生も、もう楽になってください」
先生の顔から生気が消えるのが分かった。立ち上がってナースコールを押そうとするが、焦って押せない。ようやくボタンを捕らえて押すと、看護師の声が聞こえた。何を言われたか咄嗟に理解できなかったが、玉子さんが今息を引き取ったかもしれないと伝えて、もう一度椅子に座り直した。息をつく。じっと玉子さんの顔を眺めてこう呟いた。
「さようなら、野比玉子さん」
片岡と野比の歴史が終わった瞬間だった。『ドラえもん』の終末。『ドラえもん』本編が描かなかった黙示録。
それでも世界は続いてしまう。私も生き延びる。直月さんとのび太さんは獄中、スネ夫さんも玉子さんも死んだ。今『ドラえもん』後を生きているのは、静香さん、杉エイゴさん、そして私だけか。何故か私たちは誰も子どもを残さなかった。私たちが死んだ時、それは本当に『ドラえもん』が終わる時だろう。
あるいは、終わるのだろうか。静香さんは、「数多くの香苗ちゃんが、これまでも、今現在も、そしてこれからも、存在し続けるのだと思います」と言った。『ドラえもん』は私たちだけの物語ではないのかもしれない。私だけが『ドラえもん』の外にいるつもりだったが、『ドラえもん』に外も内も無いのかもしれない。
『さようなら、片岡玉子』で玉子さんは何を言いたかったのだろう。玉子さんは「映画 ドラえもん 創世記」と呼んだ。そこに描かれていたのは性と暴力、そして境界だ。それらが人を苦しめ続ける限り、『ドラえもん』は生まれ続けるのだろう。「香苗ちゃん」だけじゃない、数多くの玉子さん、玉夫さん、私の父シア、静香さん、武さん、スネ夫さん、のび太さん、チェ、そしてテヨンがいるのだ。逃げられない。そして逃げられないからこそ、逃げ続けなければならない。
玉子さんは、『ドラえもん』登場人物による暴露の連鎖が今後更に広がって行くと予想した。その通り、玉子さんが亡くなった直後の日本漫画賞授賞式で直月理乃先生が重大発表を行って逮捕された。そして私、村江——テヨン——もまた、それに便乗してこうしてあとがきを書いている。静香さん、直月さん、玉子さん、そして私。真実は膨大に膨れ上がり、もう誰の手にも負えなくなっている。私たちは『ドラえもん』を過去の物にしたがっているのか、あるいはそれに執着しているのか。現在と過去、生と死。どちらを選んでも、もう片方が亡霊のように付き纏う。であれば、私を片岡テヨン、のび太さんを野比のび太と名付けた玉子さんのように、両方を同時に生きていくしかないのだろうか。過去を現在に引き継ぐこと、現在を過去に求めること、決して何も死ぬ事のないループの中で生きるしか。